4時30分起床。
昨日は午後から訪問鍼灸で体をメンテナンスしてもらいました。
次の日ってあちらこちらが痛いんですよね。。
ただ今日も飲み会の予定ありで、
少しでも走ってカロリーを調整したい。。
準備運動中に雨音。。
次第に強くなる。。
にわか雨でしたが、
出社時間もあるので走るのを諦めました。
明日はちょっと走り、
土曜日は仰山走るつもりです。
東京物語⑧
2年浪人して大学受験を諦めた私。
世の中はバブル景気。
両親に宣言して、
私は東京に向かいます。
いよいよ東京物語です(笑)
お金はありません。
持っていたのは20万ほどでしょうか?
普通電車のチケットを買って向かいました。
どこへ?
横浜の磯子区です。
そこで高校の頃の同級生が一人暮らしをしておりました。
横浜国大だったと思います。
電話して頼み込んで、
しばらく置いてもらえることになりました。
つまりは転がり込んだ。。
住民票を移し、
就職活動です。
友人の部屋は1K+ロフト付き。
いい迷惑ですよね。
彼女も居たらしいので、
どんだけ私はお邪魔虫か。。。
世の中はバブル景気で人手不足。
その頃、中途採用で就職しようと思ったらDODAとかリクルートとか、
そういう就職あっせん誌を買うんだけど、
電話帳より厚い。。。(笑)
(昔の電話帳も厚かった)
8社受けて7社合格しました。
中には就職祝い金を出してくれるというとこまでありました。
1社はドイツで働く会社で、
書類選考で落ちました。
文学青年だった私は、
トーマス・マンだとかヘルマン・ヘッセだとかドイツに憧れを持っていたんです。
ドイツで働けたら幸せだな~
って落ちたんですが(笑)
そして熟考を重ね、
私が選んだ会社は先物取引の会社でした。
会社は私に寮を借りてくれるということだ。
友達に告げるとホッとした様子だった。
当たり前だ(笑)
とにかく私は2万だけ手元に残し、
残りのお金を全額彼に渡して引っ越しをすることにした。
横浜の磯子区の友人宅をでて、
横浜にいる親戚(父親の兄弟)の家で数日過ごした。
西区かな? 戸部というところです。
肩身狭く数日過ごしました。
(友人宅ではもっと肩身狭く過ごせよ(笑))
いよいよ就職だ。
私が住む部屋として連れて行かれたのは、
埼玉県の北越谷。
駅から徒歩20分弱の田舎だった。
周りには何もない。
コンビニもない。
魚屋が一軒だけある(笑)
2DKの部屋。
ファミリー向け物件なので何もない。
がらんとした部屋。
季節は冬。
コート1枚と2万円くらいしかない。
会社への出勤する電車代を考えたら使えるお金なんかない。
初日、
駅近くまで戻り安い包丁とまな板と箸、
台所用洗剤とスポンジ、
お皿1枚、コップ1個、
洗濯用洗剤、トイレットペーパーを買った。
他にも買っただろうけど忘れた。
近くの魚屋でイワシと缶コーヒーを買った。
イワシを包丁で叩いて食べたのを覚えている。
コンロもないしね(笑)
缶コーヒーを飲んでその缶を灰皿にした。
お金なくてもタバコは吸うよね。
シケモクもだいぶ吸った。
コートに包まって寝た。
暖房もカーテンもない。
布団もない。
わびしい~。。
でも今考えると青春だよね。
出勤まで1週間くらい間があった。
毎日いわし食べてたような気がする(笑)
カップラーメン買ってもお湯が沸かせないんだよね~。
一度駅の近くの吉野家で牛丼を食べた。
美味しかった~。
あの頃は200円台だった気がする。違うかな?
1週間、散歩ばかりして過ごしたと思う。
寒かったから(笑)
出勤前日だったか?
ルームメイトが入居してきた。
私より何歳か年上の方だった。
ガタイが良い方だった。
高校時代愛甲選手と一緒に横浜高校で野球をしていたということだった。
名前は忘れた(笑)
聞けば思い出すと思いその頃の横浜高校をググってみたけどたどり着けなかった。
海外留学から戻り、
私と同じ会社に入社したらしい。
ありがたかったのはコンロや冷蔵庫、
調理器具など一式揃ったことだ(笑)
初めての給料で、
布団と部屋の電気、カーテンを買った(笑)
灰皿は相変わらず空き缶だ。
今考えると火事など危ないですよね。
ルームメイトの彼は一人で過ごすことが好きな人だった。
人とつるむことは好まなかった。
営業には向いてないよね(笑)
でも私の詮索もしないし、
私が年下だったこともあり、
調理器具やらなにやら気持ちよく貸してくれた。
几帳面な方で私にむかつくことも多かったろうに、
大人でした。
休みの日に歌舞伎を見に行ったという話を一度聞いた気がする。
私が恐怖を感じていたのは電話が鳴ることだ。
固定電話が鳴り、
受話器を取ると相手が英語で話し出す。
おそらく彼には外人の彼女が居たと思われる。
出勤も一緒にしなかったような気がする(笑)
何度か一緒に出勤したけど。
同期で北越谷駅のすぐ近くで実家暮らしをしている別の方が居た。
私より1歳年上。
この人と私は気が合った。
いつも一緒に出勤し、
時間が合えば一緒に帰った。
研修期間を終えると、
朝から晩まで仕事だった。
とにかく電話をかけまくり、
アポをとって会いに行くという。
受話器を見るのも嫌になった。。
終電で帰ることも少なくなかった。
よくお酒も飲みに行った。
自分たちのお金で飲みに行くときはお金がなかったので、
ほとんど上野の屋台だった。
若いしよく飲んだ。
でもお金がなく、
酔っ払って逆立ちして道行く人におひねりを要求したり、
ほんまたち悪い(笑)
それでも飲み代を出してくれたりそういう人もいた。
私の連れは、
少ないお金で酔っ払う方法を見つけた!
とかいいながら、
お酒をグイッと飲んで全速力で走りだしたりした。
酔いが回る(笑)
世の中はバブルの時代。
先物取引もまたバブル。
飲みに行くところも上野から、
有楽町のビアガーデンになり、
新宿になった。
昨日あの席で田原のとしちゃんと中山のみほちゃんがお酒を飲んでたよなんて、
東京だな~って話を聞いたりした。
仕事の接待で使える店は青天井になった。
この頃、
タクシーチケットは金額を書き込んで渡すというような感じで無限大(笑)
私が接待で使った銀座の寿司屋さんは、
ちょこちょこと2人で食べて飲んで10万をはるかに超えた。。。
元来貧乏性で気の弱い私は、接待とはいえもう2度とその店には行かんかったけど。。
休みの日は神田の本屋さんへ行ったりした。
今でこそネットでポンと手に入るけど、
あの頃は欲しい本を買うのが大変だった。
池袋の東急ハンズとかよく行った覚えがあるけどなんで何回も行ったんだろ?
記憶にない(笑)
一度父親が東京に出てきて、
歌舞伎座の前で待ち合わせしたことがあった。
ドジョウ料理をたべさせてもらったのを覚えている。
仕事でお金を得て人形町の賃貸物件を借りた。
会社から援助が出た。
友人から車を買い、
駐車場を借りた。
その当時駐車場代だけで10万くらいだったと思う(笑)記憶が正しければ。。
結局すぐに車を手放した。
そしてそんな生活は長く続かない。
体が変調をきたした。
心も疲れた。
私は両親にSOSを出した。
愛知に戻りたいと。。。
結局私の東京物語は2年ももたずに終わってしまった。
バブルの時代。
楽しかった。
でも疲れた。
あのまま東京に住んでいたら私の人生どうなっていたんだろうか?
この後愛知に帰り、
しばらくフリーターをして就職する。
私は父親の性格を色濃く継承している。
ただ私の人生が父親ほど破たんしなかったのは、
(今後は知らんけど(笑))
父親の失敗をいつも見てきたから。
私は我慢強い。
でも転職もそれなりにしている。
(我慢強くないやん(笑))
なかなか折れない心を持っている。
(ランの練習ではすぐに心折れるけど(笑))
フリーターの時期があったがそれ以外は必ず次の就職先が見つからない限りは転職していない。
1度も失業保険をもらったことがない。
東京、バイバイ!
もう少し続きます。
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