走って、パパして、仕事して。ときどき夫。。

45歳からマラソン始めました。夢はサブ3、富士山登頂競争完走。

ランステ予約しました。&東京物語⑥

4時30分に目覚ましをかけていたんですが、

3時55分起床。。

 

すぐに走りに行けばいいのに、

ぐだぐだして結局スタートしたのは5時30分。

 

まあ明日は水曜日でポイント練習の日やから、

今日はゆっくりと7kmほど。。

 

土曜日は長居ぐるぐるの日。

距離は踏めていませんが、帳尻を合わすイベントに今年も参加するつもりです。。

10時スタート。

今日長居公園の近くにあるランステ、

ランスポットを7時からで予約しました。

気合い入ってるでしょ(笑)

 

 

東京物語

 

東京物語①

東京物語②

東京物語③

東京物語④

東京物語⑤

 

 

私は5歳~小3の途中まで、

愛知県岡崎市吹矢町で過ごした。

 

そこで後半、

父親がある不動産会社に就職し、

ぐんぐん出世して支店長にまでなった。

 

そして小学3年生の時転校するのだけど、

引っ越し先は岡崎市中園町

ここで初めて自分の家で住むことになる。

なんと夢のマイホーム。

建売だったようだけど、

ここから↓(6人暮らし)

f:id:Choei:20180717185205j:plain

 

一気にマイホーム(笑)

 

思い返してみると大きな家ではないけど、

4Kで大きなバルコニー、

駐車場と小さな庭付き。

 

熱川の温泉旅館からの下りを考えると大出世。

 

もちろん子供であった私はそんなことも全然考えてない。

ただあの狭い部屋からこんな大きなとこに住めるんか!

という思いだけはあった。

 

 

通常マイホームを持ったということはここで落ち着くということなんだろうけど、

我が家にそんな安定はない(笑)

 

私はここで小学校3年の途中から中学校、高校2年まで過ごすことになる。

約8年。

 

この8年の間で私たち一家は、

それなりの暮らしを送った時期もあるし、

極貧を味わうことにもなる(笑)

 

それまでにも貧乏をしていたんだろうけど幼かった私の記憶にはない。

 

ここに引っ越してきてすぐにもう一人弟が出来た。

これで4人兄弟だ。

貧乏子沢山。。。

 

 

私はもっぱら近所の子たちと田んぼ(冬場)で野球をしたり、

虫捕りをしたり、

めんこやビー玉、

力士やスポーツカーの消しゴムで遊んだり、

いっぱい遊んだな~

 

いつの間にかマイカーまであった。

クラウンのロイヤルサルーン

当時では高級車の部類。

 

 

中学生になった私には家庭教師の先生がついた。

これが美人なお姉さんだった。

何歳くらいだったんだろうか?

週に1回くらいは家に来て勉強を教えてくれた。

私は楽しみにしてた。

ある意味、初恋かもしれない。

まあ憧れかな。

 

父親は仕事でほとんど家にいない。

それでもたまに外食に連れて行ってくれる。

ステーキのあさくま

ハンバーグにコーンスープまでつくと子供心では超贅沢。

たまに中華料理屋に連れて行ってくれた。

くるくるまわるテーブルに料理が並んだ。

おもちゃの汽車が料理を運んでくれる料理屋さんに行った。

年に1回か2回は旅行にも連れて行ってくれた。

 

これが子供であった私の思い出だ。

普通の子供としての楽しい思い出がいっぱいだ。

 

 

でも現実は厳しい(笑)

 

現実は、

ある不動産屋の支店長になった父親。

金回りが良くなり、

会社の勧めでマイホームを購入。

仕事が忙しく家にはほとんど帰れない。

バブルの入りだ。

浮気も相当していたようだ。

 

なんと私の家庭教師になった人は父親の浮気相手(笑)

母親はどんな気持ちで受け入れたんだろう(泣)

そして私は恋心まで抱いたのだぞ!

なんてこった。

今から考えてみると、

私は父親と先生の家に遊びに行ったけど、

碧南市やった。

うちまでかなり遠い。

わざわざ毎週こんな遠くまで家庭教師に来るバイトなんてしない。。

あ~。。。なんてこったい。

 

そういえばこの先生とは別のはなしだけど、

小学生の頃私は父親に連れ出され、

今回の事は母親には内緒な。

と言われたことが何度もある。

だしにされていたんやろな~。

 

 

母親は従順だが、

時には衝突。

家出も何回かした。

ただ子供が気になりまた家に戻るしかない。

体を壊し1カ月くらい入院したことがあったな。

そのときは親戚のおばさんが私たちの世話をしてくれた。

沢山苦労してる。

 

 

いい生活は長く続かなかった。

実は父親が勤めていた不動産屋が悪徳業者だったのだ。

父親は従業員として信じて働いていた。

それは将来父親が飲んだ時に漏らしていた。

前半は普通に建売などを売っていたらしいのだけど、

途中からリゾート地を売っていた。

つまり地価があがるから投資として買っておくといいよと勧めるわけだ。

ところが実際の土地は原野で無価値な土地だったのだ。

父親が出勤するとある日突然会社がなくなっていた。

父親の名誉のために書くと本当に父親は信じていた。

原野商法ってやつだ。。。

詳しく聞いていないがお客さんとの窓口になっていた父親やここでも借金を背負った。

 

その後家には百科事典が並んだ。

おそらく父親が転職してそういう営業をしていたのだろう。

 

そこも長続きしていない。

 

我が家は貧乏になった。

私が覚えていることでは家から食べ物が消えた。

山にたけのこやきのこを捕りに行った。

毎日小麦粉で作ったお好み焼きのようなものとか、

パンの耳を上げて砂糖をかけたものを食べていた。

それでもその頃の私たちはひもじいと思わなかった。

母親と父親が子供にそんな思いをさせまいと必死になんとかしていたようだ。

 

家から車がなくなった。

そして家の中を知らない人が見に来るようになった。

 

これらも大人になって思い返すとという感じだ。

 

 

そして我が家最大のピンチが訪れる。

 

父親からわらのようなもので出来た絨毯をみせてもらったことがある。

それは記憶にある。

 

自分で商売を始めたらしい。

知り合いの人からこんな商品があると勧められ、

その絨毯のようなものを売る仕事。

 

実はこの絨毯のようなもの、

これを土の上に敷いて水をかけるとふさふさと芝生が生えるという代物。

今の時代ならそんなんあるでしょうが、

もう40年近く前の話。

画期的でしょ。

サンプル品を持って全国の料亭だとかホテルだとか個人だとか本当にすごい数の契約を取ったと言っていた。

サンプル品を渡して水を撒くと数日で芝生が生える。

そこで大量に受注するのだ。

 

新商品ということで集金しておいて一斉に配送したそうだ。

 

ところが。。。

この商品。。。

 

水を撒いても雨が降ってもぺんぺん草一本生えてこない。。。(笑)

 

つまり詐欺だ。

まがい物だ。

 

もちろん父親はそんなことになっていようとは1mmも思っていない。

順調に利益をあげたと思っていた矢先、

売った父親のもとに苦情が殺到した。

商品を開発したとされる会社は当然逃げてしまっている。。

 

父親はどうしたか?

全部返金したそうだ。

 

 

実はこの頃のことだと思うけど、

大人になって衝撃的な話を聞いた。

両親は心中も考えたらしい。

子供の道連れは考えなかったそうだし、

実際に最悪の結果になったとして死を選んだかどうかも分からない。

両親の性格(楽天的なとこもある)を考えると、

実際に心中をする可能性は極めて低いと思う。

とにかくお金を用意しなくてはならなかった。

でも手持ちはない。

借金をした。

それでも足りない。

どうしたと思います?

競輪に行ったそうです(笑)(競艇だったかもしれません。どっちかです)

そしてある選手の単勝に全部かけたそうです。

両親で。。。(ちなみに母親はギャンブル好きではありません)

その選手は人気上位であったけど本命ではない。

おそらく必要なお金から計算したのでしょうか?

 

そしてレースがスタートした。

父親は後にこの話を酔っ払いながらして、

死ぬつもりだったと言っていました。

 

 

その選手は頑張った。

追い上げてぐんぐん上がり最後ゴールを駆け抜けた!

 

 

2位だったそうです。

 

 

単勝というのは一等賞を当てなくてはならない。

 

終わったと。

どんな気持ちなんでしょうか?

顔は青ざめ、

頭は真っ白。

きっとそうに違いありません。

 

 

そして、

 

審議のランプがつきました。

 

ドキドキしたそうです。

 

その時間がとてつもなく長く感じたそうです。

そして、

 

なんと1位の選手が反則で失格!

繰り上げで両親の買った選手が1位になった。

という話を父親がしておりました。

私達に向かってではなく親戚に。

それを母親も横で聞いてました。

 

ドラマにも出来ないほどの劇的な展開(笑)

事実は小説より奇なり。

 

この話を私は大人になって聞いたことがあります。

同じ話をしてくれました。

何時のことだったかそれは聞きそびれてます。

 

 

あ~。。。。怖い。。。。恐ろしい。。。。

 

 

父親は仕事が出来る男だったけど、

人が良く騙される。

そして人に使われるのも使うのもへた。 

 

 

私の高校受験。

その当時三河地区で一番は学校群の岡崎高校、そして刈谷

そこまでの学力はなかったがその次くらいの学校を受けると宣言した。

 

今の高校受験制度が分からないが、

その当時は公立1校、私立1校を受験するという感じだった。

第2次ベビーブーム世代なので子供は多い。

当然落ちる生徒も出てくる。

私が受験すると言った高校は私の成績でいうと当選ラインにはある。

でも落ちる可能性もあるというところだろうか?

両親から私立の高校は受けないでくれと言われた。

分かったと言った。

私もまた楽天的に出来ている。

私達のクラスは全員高校進学。

私立の願書を出さないと先生に宣言したその日、

我が家に先生がやってきた。

両親に私立も受けさせてくれと説得するためだ。

数回来たそうだ。

それでも公立一本で私は無事合格した。

 

 

そのちょっと前から父親は違う不動産屋というか建設業者に勤めるようになった。

今でもその建設業者は毎日TVでCMしてる大きな会社です。

 

 

そして私が高校2年の時、

また引っ越すことになります。

マイホームを手に入れたことが永住には繫がらなかった(笑)

 

今度は愛知県豊田市に引っ越してまた商売をするのだけど、

それは次回。

 

 

今回この東京物語を書きだして沢山の事柄を思い出します。

結構楽しんでいる自分がいます。

どんなに苦しい思い出も時間が和らげてくれます。

最初に触れましたが、

両親は健在で老いましたが仲良く元気に暮らしてます。

私の真ん中の弟と暮らしてます(愛知県吹矢町で産まれた)。

母親が辛抱強かったのだと思いますが、

どうしようもない父親なのですが、

優しいです、人がいいです、今では母親をとても大事にしてます。

そしてどんなに借金しても破産することなくずっと返し続けておりました。

数年前に完済。

4人兄弟もみな成人して。。。

というかおっさん、おばさんになり(笑)

兄弟のグループLINEがあるくらい仲良しです。

そして今年の夏も両親、各家族でキャンプへ行きます。

(施設泊ですが)

なのでこの回想録も暗いものでなく、

小説感覚です(笑)

読んでくれる方は小説だと思って読んで下さい(笑)

 

ではでは。。。

 

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