走って、パパして、仕事して。ときどき夫。。

45歳から走り始めました。フルもウルトラもトレイルも思いっきり楽しみたい!

ギャンブル狂時代①

ギャンブル狂時代①

 

ここ17年間でしたギャンブルはカジノだけだ。

マカオ、韓国、オーストラリア。

2000年に遡ればラスベガスのカジノへも行った。

 

私が結婚したのが2004年。

そこからは海外旅行の時のみで日本では一切ギャンブルをしていない。

嘘言った(笑)

麻雀は何度かした。

実家の家族と、職場の人間と。

 

今回このテーマでブログを書こうと思ったのは、

ある男にパチスロをテーマにブログを書いてと言われてその時は否定したけど、

何となく書く気になった。

その男と何故そんな話になったのかというと、

いっちゃんのブログの話をしていた。

最近更新があまりないという話(私は更新を楽しみにしている)をしていて、

その男が最近読んだ一番面白かったのがいっちゃんがパチスロについて書いた回だと言っておりそこからそんな話になった。

 

いつから話そうか? 

私のギャンブル好きは生まれ育った環境が間違いなく影響しているのでそこから話そう。

 

まず、

物心ついたときには麻雀を並べて打つくらいのことは出来ていた。

役とかルールは小学校に上がる前に覚えていた。

 

父親も母親も長野県で生まれて育った。

父親は松本市

そういえばこの間 キクチヒロシ氏ツイッター松本深志高校のことをつぶやいていたけどそこの卒業生だ。

母親は上高地のふもと山形村の出身だ。

長野県といえば教育県で、真面目で勤勉な人の多い土地柄だ。

ただ私の父親側の血はまるで真逆な感じだ。

母親側はそれこそ真面目で堅物の血であることを一応添えておく。

 

もう少し掘り下げると父親側の家系は、

もと庄屋らしくひと財産あったらしいが父親のおじいちゃんの代でほぼほぼ食い尽くしたらしい(笑)

私が生まれた時、父親の実家は「文芸社」という印刷会社だった。

いつも紙とインクの臭いにつつまれ、

カタカタカタとタイプを打つ音がしていた。

家のあちらこちらにタイプの文字が転がっていた。

分かりにくいと思うので拾ってきた画像を貼り付けておく。

1915年誕生「和文タイプライター」はいまだ現役だった! 日本の印刷を大きく支えた機械と人がつむぐ、103年後の言葉とは(1/5 ページ) - ねとらぼ

こんなやつの文字盤があちこちに転がっていた。

父親の一番上のお兄さんがそこの社長で(父親は8人兄弟の末っ子なのでかなり年が離れている)その家族と、

父親の兄弟やら姉妹の何人かで運営していた。

文芸社はつぶれて社長も一時期行方不明になっていた)

父親の父親。

私のおじいちゃんになる人は一言でいうと寅さんのような人だった。

印刷会社は子供たちに任せて、

全国を旅しながら砥石を売り歩いていた。

私はこのおじいちゃんにものすごくかわいがられた。

大好きだった。

おじいちゃんは私が小学校4年生の頃、

飛騨高山の温泉で(商売での旅路)脳梗塞で倒れて間もなく亡くなってしまった。

 

うちの父親は文芸社では働かずにおじいちゃんと同じ砥石を売り歩く仕事をしていた。

私が3歳か4歳になる頃までだろう。

 

なんだか話が違う方向に行きそうなので戻す。

そんな父親側の親族はみんなギャンブラーだ(笑)

お正月みんな集まれば花札、麻雀。

私はいつも父親かいとこ(みんなもう大人になっていた)の横に座って朝までずっと麻雀や花札を見ていた。

それが好きだった。

 

 

ギャンブラーの父親は人生もギャンブルそのもの(笑)

私は何度も引っ越しをしているのだけど、

大人になって分かったことだけど全て夜逃げみたいなものだ。

愛知県に引っ越してからは週末になると競馬場や競艇場、競輪場で遊んでいた記憶がある(笑)

 

時代が前後するかもしれないけど、

競馬でいえばトウショウボーイカツラギエースミスターシービーミホシンザンシンボリルドルフなど名前を憶えている。

競艇は私も買っていたと思う(笑)

黒い弾丸黒明、モンスター野中、プリンス今村、上瀧、西嶋、あと鵜飼菜穂子が出るレースは必ず絡ませて予想していた。

 

大人になって聞かされたこんな話がある。

私が小学校へ上がる前、

おそらく熱川温泉から愛知県の岡崎市に引っ越してきた頃、

(東京から夜逃げをして熱川温泉に行きつき、住民票もなく家族で住み込みで働いていたらしい。私とまだ赤ん坊の妹はいつも部屋でテレビを見たりしていた。妹が泣き、女中で働いている母親を探しに行く、旅館の女将(くそばばあ)が手を振りシッシと私を追い払う。大人になったらテレビで見ていたウルトラマンになってスぺシウム光線でやっつけてやるとういう記憶とともに熱川温泉での情景が今でも残っている)

いよいよお金がなく借金で首もまわらず最後の勝負をしたらしい(笑)

お金をかき集めて(闇金などから)、競輪で1点勝負。

とにかくダメなら一家心中も考えていたらしいからね(笑)

私はこの世にいなかったかも。。

買った車券が1着、2着で入った。

大喜び。。。したのもつかの間。。

審議のランプがついたとのこと。

2着の選手に対する審議。

失格になれば、一家心中?

長い長い審議。

 

審議の結果。

結果はそのまま。

Choeiの命が繋がった(笑)

まあ実際両親がどのような心持でいたのかは分からないけど、

そんなことを家族の酒席で話をしていた。

危ない血だ。。

 

少しパチンコの話をしようと思う。

 

長くなった。。(笑)

つづく(笑)

 

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