走って、パパして、仕事して。ときどき夫。。

45歳からマラソン始めました。夢はサブ3、富士山登頂競争完走。

水都大阪を考える①走り方。私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。(終)

 昨日生まれて初めてボルダリングをしました。

あれ、見てると簡単そうですが、

やったらハード。。。

すぐへばる。。。

 

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ちなみに写真に写ってるのは娘。

子供たちは1年くらいやってます。

 

腕と指が筋肉痛ですが、

なかなか楽しかったです。

会員になったしまたやってみよ。

 

 

4/22の水都大阪を走ることに決めました。

 

晴れ予報、最高気温26度。

間違いなく暑くなりそうです。

 

それと全く走りこめていない現状。

 

今回、初めてレースの関門時間を調べてみました。

 

幸いなことが一つあります。

例年6時30分スタートなんですが、

今回は参加者が多く、

6時10分スタートというのが出来ました。

ただ始発が間に合わないので6時30分スタートで申し込むつもりだったんですが、

すでに受付終了。。。

ということで6時10分スタートでエントリー、

今回に限っては20分の余裕はでかい!

 

 

6時10分スタート、

39.6km地点 11時45分 5時間35分

72.3km地点 16時10分 10時間

89.1km地点 18時50分 12時間40分

97.6km地点 20時10分 14時間

 

72.3km地点まで走れ・・・歩けたら満足かな。。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

 私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。①

 

私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。②

 

 私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。③

 

私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。④

 

 

平成21年4月38歳。

私は降格人事で支店長から一気にチームリーダーの末席まで落ちた。

年俸700万から給料300万だ。

 

売上を上げれば報奨金がもらえるが、

もちろん私が配属になったのは一番売上が悪い営業所。

 

大阪支店のE支店長も神戸支店のG支店長も私が辞めるというのを待っていた。

 

 

私は辞めなかった。

 

家内とはよく相談していた。

年収が400万も下がってしまったのだ。

当然だ。

私自身もちろんもうやめることに未練はない。

 

 

ただ思っていた。

人生の中で何度か転機がある。

好機(チャンス)もある。

誰にでもある。

ただそれはどんな時でも一生懸命頑張っているときに来るものだ。

 

自分探しの旅だとか、

自分に合った仕事を探すだとか、

ふらふらしているときにチャンスは来ない。

(あくまでも私の経験上)

 

じっと耐えて、

一生懸命頑張っている者に好機は与えられる。

 

 

それから8カ月。

私はじっと耐えた。

月に一度の会議では罵倒され、

元々部下だった者たちから哀れな目で見られ。。。

 

 

12月、

義理の父が私に言った。

「介護事業をしようと思ってる。立ち上げまではわしがする。そのあとはお前やれ」

義父は介護事業の経験はない。

公務員として福祉に携わってはいた。

 

義父は昔の父親の象徴だ。

否はない。命令だ。

「半年くらい研修で勉強して来い」

義父は私が仕事を辞めたがっているのを知っていた。

私はヘルパー2級の免許は持っていた。

きっと私のことを考えてくれてのことだと思う。

 

 

12月10日、

私は神戸の支店長に辞意を伝えた。

引継ぎ等あるので通常は3カ月前に伝えて最後の1カ月は有給消化という感じだ。

 

ところが・・・

待ってました!

って感じでした(笑)

通常3カ月かかる引継ぎを1週間で終わらせ、

後は有給消化ってことで・・・

12月10日に辞意を伝えて、

会社に最後に出勤したのは12月18日。。。後は有給消化。。。。

 

どんだけ嫌われてたんや???わし???(笑)

知ってたけど(笑)

 

 

私が作った神戸支店の職員さんたちが盛大に送別会をしてくれた。

そのときにもらったルイヴィトンの名刺入れは今私のポケットに入っている。

 

 

 

義理の父の口利きでデイサービスに研修生として時給850円で働くことになった。

 

私は頑張ったと思うよ。

トイレからのコールが鳴ったら誰よりも一番にトイレに走った。

みんなが嫌がる仕事を積極的にした。

それもこれも後には自分が経営者になってやるという思いがあるからだけど。

 

介護の仕事はつらい。

デイサービスは動ける利用者さんも多いので結構明るく楽しいことも多い。

介護士の世界は独特だ。

女性社会だ。

更衣室は男性の部屋はめっちゃ狭い。

女性の部屋は大きい。

休憩室はソファーがあってテレビがある。

そこで休憩時間にごはんを食べたりするんだけど、

男で使う人はいない。

男はみんな狭い男子更衣室で長机に座り壁と向き合ってご飯を食べてる(笑)

 

私は積極的に女性ばかりの休憩室で食事をした。

女好きだからではないよ(笑)

男でもう一人そこで食事をする人がいた。

それが、私のブログの中に時々登場する訪問鍼灸師の友人だ。

その頃は介護施設で機能訓練員をしていた。

 

 

何度もいうけど介護士の世界は独特だ。

横のつながりが強い。

仕事に対して自分なりの使命感を持っている方が多い。

どこでも人手が不足していて仕事量が多い。

利用者さんや家族が相手だから怪我や病気をさせてを行けないという緊張感もある。

嫌な仕事が多い。

施設に対して愛着はあるけどやめても仕事はいくらでもある。

 

やはりこの介護士の気持ちを知るということが経営者としての成功につながるのではないか?

そういう思いで働いていた。

中に入るためには認められなくちゃだめですもんね。

 

 

デイサービスで一日仕事をして、

終了後は事務所に入って色々な資料に目を通した。

介護施設の社長と施設長がどんな資料を見てもいいと言ってくれていた。

 

3カ月、4カ月・・・

 

義父は私を連れて買取予定のマンションを見に行ったり、

融資を受けるために公庫に行ったり。。。

 

 

半年がたった。

 

義父が倒れた。

糖尿病からの腎不全、心不全

救急病院だ。

心臓の手術、

人工透析の開始。

 

その間私は銀行や公庫に行って愕然とした。

融資は全て破談していた。

 

 

家族で相談し、

私はとりあえず研修で行っていた介護施設で正社員にしてくれとお願いした。

 

即OKだった。

介護士の給料は安い。

それでも介護の必要となった義父を抱えてそのとき出来る選択の一つだった。

平成22年7月、私は40歳になっていた。

 

 

デイサービス⇒グループホームグループホームの副管理者

平成23年1月小規模多機能のホーム長

平成24年1月運営推進室室長となる

 

グループホームや小規模多機能の新規立ち上げを一からやったり、

介護士側から経営者側の仕事に変わった。

 

ただ給料が伴わない。。。

 

 

運営推進室の室長をやりながら、

実弟大阪市内で不動産業を始めたのでその手伝いを始めた。

 

 

私は介護という仕事に対してやりがいと社会性を感じていた。

ただ介護士としても働いたし、

経営者側で仕事もさせていただいて、

甘くないぞ”! ということを思い知らされた。

 

介護士の給料が安いのは、

出してないのではなく出せないのだ。

人員確保も難しい。

 

ならば、

私は宅建取引主任者の免許もあるし、

不動産業から始めて、

安定したら介護事業をしたい。

不動産業で利益を求め、

介護事業で社会貢献をしたい。

 

そういう思いで、

平成26年6月44歳の時、

今の会社を立ち上げた。

 

会社を立ち上げて間もなく義父は亡くなった。

 故あって財はない。

 

 

甘くない。。。

事業をするということは大変だ。。。

 

もうすぐ4年、

やっと軌道にのってきた感じだ。

 

サラリーマンのが気楽だ。

経営者はつらい。

でもサラリーマンには戻りたくない。

これが本音ですね(笑)

 

 

さて前に少し触れたこと、

愛知県から大阪支店に転勤が決まった時、

一緒に大阪に来たのがCさんとD君だ。

 

Cさんは私より前に会社をやめ、

愛知県に戻り農業をしている。

今でも年に数回連絡をとっている。

結婚して幸せに暮らしている。

 

 

D君は今、私の会社で働いている。

引き抜いた訳ではない(笑)

私が辞め、

神戸支店の元からの社員たちもまた肩身が狭くなった。

それでも頑張っていたんだけど、

会社の経営も悪化したこともあり、

私が声を掛けこちらに来てくれた。

(引き抜いたということか?(笑))

 

 

彼は私より4歳下だけどよくケンカした(笑)

ほぼ同期、

彼はずっと私の下で働いていた。

 

人間、地位が上がっていくと注意をしてくれる人がいなくなる。

回りの人間はいいことしか言わなくなる。

そして上の人間は嫌われる。

地位が上がると傲慢になる。

 

そんな中、

D君は下の人の不満をそのまま私にぶつけてきた。

私はむっとする。

でもその日の夜、

眠れなくなる。

反省する。

翌日D君にお礼を言う。

行動を変える。

 

 

私に対して下の子たちの不満がたまり、

爆発寸前まで行ったときも彼はみんなの意見を聞いた上で私を庇ってくれた。

 

どんだけ喧嘩しようが、

険悪になろうが、

彼は私を裏切らない。

 

そして私が道をあやまろうとしたとき、

忠告をしてくれる。

 

会社を作った時から一緒に働きたいと思っていた。

今は給料を沢山出してやれない。。。

彼も独身だから辛抱してやってくれているのかもしれない。。。

 

 

あの会社はもうない。

解散の話が出たときはもちろん荒れに荒れたそうだ。

もうここ10年新入社員もとってなかったということで、

職員はほとんど40歳を超えていたそうだ。

そんな人たちが職を失う。

もう一からはできないということで、

何人かでまとまって個人事業主として同じような仕事をしている人が多い。

愛知支店なんかは支店丸ごと独立して株式会社化して仕事を続けている。

 

あの黒幕だった大阪支店のE支店長も独立して会社を作るぞ!

と言ったが誰もついて行かなかったそうだ。

今は一人で何しているのか分からない。

 

神戸支店の支店長になったGは会社の金を使い込んで支店長になって2年で訴えられて首になった。それがきっかけで離婚もしたそうだ。

 

パワハラ女性上司は再婚して幸せにかどうかは分からないけど京都で暮らしているそう

 

F常務は仕事が出来る人だったが独立がうまく行かず、家も売ったそうだ。

 

大阪で雇った職員、神戸で雇った職員で最後まで残っていた人たちは、

今でも時々私の店に顔を見せに来る。

その中の一人はマラソンをしていて、一緒に2年前水都大阪を走った。

 

 

家族のため、

自分のため、

従業員のため、

頑張って仕事しないとね。

 

もう波乱万丈はイヤだけど。。。

予断は許さない。。。(笑)

 

THさんとキミ兄さんのエントリーから始まったこのシリーズ。。。

長々とありがとうございました。

 

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