走って、パパして、仕事して。ときどき夫。。

45歳からマラソン始めました。夢はサブ3、富士山登頂競争完走。

水都大阪を考える③いよいよ明日やん。。とにかく頑張るっきゃないね。。

いよいよ明日、

水都大阪100kmウルトラマラニック

 

半年にわたる故障で満足に距離が踏めず、

足の筋力はとても100kmを走り切れるような状態ではない。

 

 

これが現状。

 

その状態でスタートに立つと決めた。

 

コンディションは暑くなりそう。

 

 

走ると決めた中で心に刻み込むべきは、

 

・運営、ランナー、一般の方に迷惑を掛けないようにする

・決して勝負しない

・完走を目指して走るのは当たり前だけど、関門アウト、リタイア宣言をしても自力でスタート地点まで行ける余力と準備はしておく

・とにかく1日走れる喜びを感じながら楽しむ

・人のと交流を大切にする

 

 

一応ペース表も作った。

エイドでのダラダラ込みだ。

真ん中の赤字の時間は関門。

レースで初めて関門時間を書いた。

 

f:id:Choei:20180420181233j:plain

 

気持ち的にはわくわくしてます。

 

今日は仕事中にちょっと抜けて前日受付に行ってきます。

(スーツ姿にスニーカーです(笑))

 

頑張るぞ! おー!

ご一緒される皆さま、

エアで走られる皆さま(笑)

よろしくお願い致します。

 

ブログランキング。今何位?

↓応援ポチりお願いします.

[http://
にほんブログ村

水都大阪を考える②暑さ対策と補給。マラソンアンバサダーについて。。

水都大阪まであと3日。

 

全身筋肉つぅぅぅ~!!!

 

足は水曜日の10km走によるもの。。。

筋力の衰え甚だしい。。。ほんまに100km。。。。

 

上半身、

特に肩の回り、二の腕、手首。。。。

これはボルダリングによるもの(笑)

 

やるっきゃない!(古い!)

 

 

22日の天気予報、

晴れ 今朝のNHKでは27度予想。。。

 

灼熱の100km。

暑熱馴化も出来てない今かなり厳しいぞ。。

 

 

それともう一つ、

私はウルトラで一番大事なことは食べること。

だと思っている。

食べれることですね。

 

体重60kgの方(私はもっともっとデブです)が100km走るとなると、

6000kcalを消費すると言われています。(言われていたと思う(笑))

 

実際は朝起きてからの消費カロリーとかあるんですが、

まあ大雑把に、

朝起きてから走り終わるまでに6000kcalくらい摂取できればハンガーノックを防げるのではないか?

と2年前も考えたわけです。

 

心配だったのは走りながら食べれるのか? ってこと。

ずっと胃腸は揺れ続けます。

実際後半になると食べれない、もどしてしまう方が大勢おられます。

 

私は・・・

 

 

 お父さん! お母さん! 丈夫な胃に産んでくれてありがとう!(胃潰瘍で血吐いたことはあるけど・・・)

 

後半でも結構食べれましたし気持ち悪くなることもなかった。

まさにウルトラ向きの胃腸!

でもそのおかげで日常ではデブ化との闘い・・・

 

 

今回は暑さ対策と補給対策を考えながら当日のギアを考えました。

 

まずはウェア、

 

f:id:Choei:20180420122805j:plain

 

ぐわぁTにぐわぁバイザー、

目立つと思うので気が付いたら是非声かけて下さい。

不安だったらバイザーの裏にChoeiって名前入ってます。

白髪だらけの福山雅治が目印です。

 

今回は1年以上ぶりにタイツを履こうと思います。

暑さより筋力不足が深刻なもので・・・

 

f:id:Choei:20180420123012j:plain

 

脱水が怖いのでボトルポーチを持ちます。

 

f:id:Choei:20180420123050j:plain

 

地球に優しい、運営の方にも優しい、これ↓

 

f:id:Choei:20180420123134j:plain

 

マイコップ。

 

ガーミンは命尽きること間違いなしということで2本持ち↓

235Jと220J

 

f:id:Choei:20180420123316j:plain

 

今回のシューズは、ニューヨークGT2000と迷って、

ライトレーサーRS↓

 

f:id:Choei:20180420123351j:plain

 

暑さ対策に↓

 

f:id:Choei:20180420123511j:plain

 

ネッククーラーは絶対!

アームカバーは最後まで迷います。

実際はつけてた方が涼しいんですよね。たぶん・・・

 

そしてこの二つは忘れたらあかん↓

 

f:id:Choei:20180420124133j:plain

 

ワセリンと日焼け止めね。

 

 

そして補給食は、じゃーん↓

 

f:id:Choei:20180420124216j:plain

 

10個!

これで1500kcal

 

朝起きて、

菓子パン&磯部もち2個 800kcal

車の中で、

カステラ&梅おにぎり 700kcal

 

これで3000kcal。。

あと3000kcalをエイドにて摂取。

 

私、今までレースでマグオンを使ったことがありませんでした。

この後書いてありますが縁あって試すことができ、

今回のレースでも使用することとなりました。

今後フルでも使うつもりです。

リカバリーではこれ↓

f:id:Choei:20180420124904j:plain

 

プロテインとハニーアクション。

 

ってな感じで準備が整ってきました。

ただ半年にわたる故障で筋力は完全に落ちております。

 

行けるとこまで頑張ります!

って感じです。

 

 

 

ラソンアンバサダーについて。。

 

 

アンバサダー(Ambassador) の意味は一般的に「大使」と翻訳され、日本では著名人や芸能人などがブランド大使として任命される時に使われることが多いようです。 AMNが提唱するアンバサダーは、ソーシャルメディアの発展により、個人が情報を発信できるようになった環境変化を反映させたものとなります。

 

 

ブログ村のマラソンカテゴリーに登録している方で気づいている方もいるでしょうが、

マイページの上の方に、

 

ランニンググッズをモニターしませんか?

 

という広告があります。

 

 

私は数週間前にこれに応募しました。

 

 

理由は、

ラソングッズがタダでもらえるぞ。うひひ。。(笑)

なんですが。。。

 

 

一番大きな理由は、

私の知らないもっといいものがあるかもしれない。

ってことです。

 

人間って、好きなものしか買いませんよね(笑)

食べ物でも好き嫌いないんですが、

独身の頃、結局買っているもの食べているものはほとんど一緒でした。

ラソンシューズでもアシックスしか履いたことない。

だから提供されることによって、

色々なものを試すことができる。

その中からすごい発見があるかもしれない。

というのが応募したきっかけでした。

 

 

そんな中、

サンプル品として送られてきた補給食。

良かったです。

今シーズン使ってみようと思ってます。

 

そのレポートがこちら↓

spolete.jp

 

 

ちなみに試供品をいただき、

それを宣伝するという役目なので、

基本、記事では褒めます(笑)

 

ただ提灯記事にするのはやめようと思います。

首になるかもしれませんが(笑)

基本的にランナーが体の中に入れるもの、

過酷なマラソンで使用するもの。

やはりどんなものでもいいですよ~使ってみて下さい!

とは言えん。。

首になるかもしれませんが(笑)

記事としては褒めることを基本としますが、

ちゃんと責任をもって文章にしますのでみなさんの参考になればと思っております。

今回応募するにあたって一番のデメリットとして考えたのは、

自由さがなくなるのではないか? ということ。

それを使わなくてはいけないことによって何かを捨てることになるのではないか?

ってこと。

でもそれも含めてメリットのが大きいかな? って思いました。

 

 

これからたまにレポートを掲載しますので、

生暖かい目で見て下さいね。

 

基本的に私は正直です(笑)

 

 

ブログランキング。今何位?

↓応援ポチりお願いします.

[http://
にほんブログ村

水都大阪を考える①走り方。私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。(終)

 昨日生まれて初めてボルダリングをしました。

あれ、見てると簡単そうですが、

やったらハード。。。

すぐへばる。。。

 

f:id:Choei:20180419134542j:plain

 

ちなみに写真に写ってるのは娘。

子供たちは1年くらいやってます。

 

腕と指が筋肉痛ですが、

なかなか楽しかったです。

会員になったしまたやってみよ。

 

 

4/22の水都大阪を走ることに決めました。

 

晴れ予報、最高気温26度。

間違いなく暑くなりそうです。

 

それと全く走りこめていない現状。

 

今回、初めてレースの関門時間を調べてみました。

 

幸いなことが一つあります。

例年6時30分スタートなんですが、

今回は参加者が多く、

6時10分スタートというのが出来ました。

ただ始発が間に合わないので6時30分スタートで申し込むつもりだったんですが、

すでに受付終了。。。

ということで6時10分スタートでエントリー、

今回に限っては20分の余裕はでかい!

 

 

6時10分スタート、

39.6km地点 11時45分 5時間35分

72.3km地点 16時10分 10時間

89.1km地点 18時50分 12時間40分

97.6km地点 20時10分 14時間

 

72.3km地点まで走れ・・・歩けたら満足かな。。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

 私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。①

 

私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。②

 

 私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。③

 

私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。④

 

 

平成21年4月38歳。

私は降格人事で支店長から一気にチームリーダーの末席まで落ちた。

年俸700万から給料300万だ。

 

売上を上げれば報奨金がもらえるが、

もちろん私が配属になったのは一番売上が悪い営業所。

 

大阪支店のE支店長も神戸支店のG支店長も私が辞めるというのを待っていた。

 

 

私は辞めなかった。

 

家内とはよく相談していた。

年収が400万も下がってしまったのだ。

当然だ。

私自身もちろんもうやめることに未練はない。

 

 

ただ思っていた。

人生の中で何度か転機がある。

好機(チャンス)もある。

誰にでもある。

ただそれはどんな時でも一生懸命頑張っているときに来るものだ。

 

自分探しの旅だとか、

自分に合った仕事を探すだとか、

ふらふらしているときにチャンスは来ない。

(あくまでも私の経験上)

 

じっと耐えて、

一生懸命頑張っている者に好機は与えられる。

 

 

それから8カ月。

私はじっと耐えた。

月に一度の会議では罵倒され、

元々部下だった者たちから哀れな目で見られ。。。

 

 

12月、

義理の父が私に言った。

「介護事業をしようと思ってる。立ち上げまではわしがする。そのあとはお前やれ」

義父は介護事業の経験はない。

公務員として福祉に携わってはいた。

 

義父は昔の父親の象徴だ。

否はない。命令だ。

「半年くらい研修で勉強して来い」

義父は私が仕事を辞めたがっているのを知っていた。

私はヘルパー2級の免許は持っていた。

きっと私のことを考えてくれてのことだと思う。

 

 

12月10日、

私は神戸の支店長に辞意を伝えた。

引継ぎ等あるので通常は3カ月前に伝えて最後の1カ月は有給消化という感じだ。

 

ところが・・・

待ってました!

って感じでした(笑)

通常3カ月かかる引継ぎを1週間で終わらせ、

後は有給消化ってことで・・・

12月10日に辞意を伝えて、

会社に最後に出勤したのは12月18日。。。後は有給消化。。。。

 

どんだけ嫌われてたんや???わし???(笑)

知ってたけど(笑)

 

 

私が作った神戸支店の職員さんたちが盛大に送別会をしてくれた。

そのときにもらったルイヴィトンの名刺入れは今私のポケットに入っている。

 

 

 

義理の父の口利きでデイサービスに研修生として時給850円で働くことになった。

 

私は頑張ったと思うよ。

トイレからのコールが鳴ったら誰よりも一番にトイレに走った。

みんなが嫌がる仕事を積極的にした。

それもこれも後には自分が経営者になってやるという思いがあるからだけど。

 

介護の仕事はつらい。

デイサービスは動ける利用者さんも多いので結構明るく楽しいことも多い。

介護士の世界は独特だ。

女性社会だ。

更衣室は男性の部屋はめっちゃ狭い。

女性の部屋は大きい。

休憩室はソファーがあってテレビがある。

そこで休憩時間にごはんを食べたりするんだけど、

男で使う人はいない。

男はみんな狭い男子更衣室で長机に座り壁と向き合ってご飯を食べてる(笑)

 

私は積極的に女性ばかりの休憩室で食事をした。

女好きだからではないよ(笑)

男でもう一人そこで食事をする人がいた。

それが、私のブログの中に時々登場する訪問鍼灸師の友人だ。

その頃は介護施設で機能訓練員をしていた。

 

 

何度もいうけど介護士の世界は独特だ。

横のつながりが強い。

仕事に対して自分なりの使命感を持っている方が多い。

どこでも人手が不足していて仕事量が多い。

利用者さんや家族が相手だから怪我や病気をさせてを行けないという緊張感もある。

嫌な仕事が多い。

施設に対して愛着はあるけどやめても仕事はいくらでもある。

 

やはりこの介護士の気持ちを知るということが経営者としての成功につながるのではないか?

そういう思いで働いていた。

中に入るためには認められなくちゃだめですもんね。

 

 

デイサービスで一日仕事をして、

終了後は事務所に入って色々な資料に目を通した。

介護施設の社長と施設長がどんな資料を見てもいいと言ってくれていた。

 

3カ月、4カ月・・・

 

義父は私を連れて買取予定のマンションを見に行ったり、

融資を受けるために公庫に行ったり。。。

 

 

半年がたった。

 

義父が倒れた。

糖尿病からの腎不全、心不全

救急病院だ。

心臓の手術、

人工透析の開始。

 

その間私は銀行や公庫に行って愕然とした。

融資は全て破談していた。

 

 

家族で相談し、

私はとりあえず研修で行っていた介護施設で正社員にしてくれとお願いした。

 

即OKだった。

介護士の給料は安い。

それでも介護の必要となった義父を抱えてそのとき出来る選択の一つだった。

平成22年7月、私は40歳になっていた。

 

 

デイサービス⇒グループホームグループホームの副管理者

平成23年1月小規模多機能のホーム長

平成24年1月運営推進室室長となる

 

グループホームや小規模多機能の新規立ち上げを一からやったり、

介護士側から経営者側の仕事に変わった。

 

ただ給料が伴わない。。。

 

 

運営推進室の室長をやりながら、

実弟大阪市内で不動産業を始めたのでその手伝いを始めた。

 

 

私は介護という仕事に対してやりがいと社会性を感じていた。

ただ介護士としても働いたし、

経営者側で仕事もさせていただいて、

甘くないぞ”! ということを思い知らされた。

 

介護士の給料が安いのは、

出してないのではなく出せないのだ。

人員確保も難しい。

 

ならば、

私は宅建取引主任者の免許もあるし、

不動産業から始めて、

安定したら介護事業をしたい。

不動産業で利益を求め、

介護事業で社会貢献をしたい。

 

そういう思いで、

平成26年6月44歳の時、

今の会社を立ち上げた。

 

会社を立ち上げて間もなく義父は亡くなった。

 故あって財はない。

 

 

甘くない。。。

事業をするということは大変だ。。。

 

もうすぐ4年、

やっと軌道にのってきた感じだ。

 

サラリーマンのが気楽だ。

経営者はつらい。

でもサラリーマンには戻りたくない。

これが本音ですね(笑)

 

 

さて前に少し触れたこと、

愛知県から大阪支店に転勤が決まった時、

一緒に大阪に来たのがCさんとD君だ。

 

Cさんは私より前に会社をやめ、

愛知県に戻り農業をしている。

今でも年に数回連絡をとっている。

結婚して幸せに暮らしている。

 

 

D君は今、私の会社で働いている。

引き抜いた訳ではない(笑)

私が辞め、

神戸支店の元からの社員たちもまた肩身が狭くなった。

それでも頑張っていたんだけど、

会社の経営も悪化したこともあり、

私が声を掛けこちらに来てくれた。

(引き抜いたということか?(笑))

 

 

彼は私より4歳下だけどよくケンカした(笑)

ほぼ同期、

彼はずっと私の下で働いていた。

 

人間、地位が上がっていくと注意をしてくれる人がいなくなる。

回りの人間はいいことしか言わなくなる。

そして上の人間は嫌われる。

地位が上がると傲慢になる。

 

そんな中、

D君は下の人の不満をそのまま私にぶつけてきた。

私はむっとする。

でもその日の夜、

眠れなくなる。

反省する。

翌日D君にお礼を言う。

行動を変える。

 

 

私に対して下の子たちの不満がたまり、

爆発寸前まで行ったときも彼はみんなの意見を聞いた上で私を庇ってくれた。

 

どんだけ喧嘩しようが、

険悪になろうが、

彼は私を裏切らない。

 

そして私が道をあやまろうとしたとき、

忠告をしてくれる。

 

会社を作った時から一緒に働きたいと思っていた。

今は給料を沢山出してやれない。。。

彼も独身だから辛抱してやってくれているのかもしれない。。。

 

 

あの会社はもうない。

解散の話が出たときはもちろん荒れに荒れたそうだ。

もうここ10年新入社員もとってなかったということで、

職員はほとんど40歳を超えていたそうだ。

そんな人たちが職を失う。

もう一からはできないということで、

何人かでまとまって個人事業主として同じような仕事をしている人が多い。

愛知支店なんかは支店丸ごと独立して株式会社化して仕事を続けている。

 

あの黒幕だった大阪支店のE支店長も独立して会社を作るぞ!

と言ったが誰もついて行かなかったそうだ。

今は一人で何しているのか分からない。

 

神戸支店の支店長になったGは会社の金を使い込んで支店長になって2年で訴えられて首になった。それがきっかけで離婚もしたそうだ。

 

パワハラ女性上司は再婚して幸せにかどうかは分からないけど京都で暮らしているそう

 

F常務は仕事が出来る人だったが独立がうまく行かず、家も売ったそうだ。

 

大阪で雇った職員、神戸で雇った職員で最後まで残っていた人たちは、

今でも時々私の店に顔を見せに来る。

その中の一人はマラソンをしていて、一緒に2年前水都大阪を走った。

 

 

家族のため、

自分のため、

従業員のため、

頑張って仕事しないとね。

 

もう波乱万丈はイヤだけど。。。

予断は許さない。。。(笑)

 

THさんとキミ兄さんのエントリーから始まったこのシリーズ。。。

長々とありがとうございました。

 

ブログランキング。今何位?

↓応援ポチりお願いします.

[http://
にほんブログ村

水都大阪100kmウルトラマラニック4日前!決断しました。私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。④

水都大阪100km4日前。

 

走るかどうか結論を出す日が来ました。

 

 

走る! 予定です。

 

 

日曜日、帰宅ランもまともに出来ず、

昨日まではDNSするつもりでいました。

 

今日走って気が変わりました(笑)

10km走りました。

 

10.02km  58.26  (5.50/km)

 

故障に関しては、

治ったよ! って言ってもいいレベルです。

 

 

ただし、、!今日10kmぎりぎりでした。。

筋力が衰えてる。。

 

100kmなんてとんでもない!

っていう状態ですが、

痛みがないのだから走ろう。

 

 関門アウトの可能性大ですし、

ダメだと思ったら躊躇なくリタイアします。

リタイアポイントはしっかり予習しておく。

 

気持ち的には、

超ロング。

水都大阪のエイドは素晴らしい。

それを堪能しながらどれだけの距離を踏めるか。

 

走れるようになったことに喜びを感じながら楽しもうと思っています。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

 私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。①

 

私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。②

 

 私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。③

 

 

平成13年4月、

神戸支店がスタートした。

 

順調だった!

と言いたいがなかなかうまくいかない。。

大阪は本当に営業しやすかった。

神戸はなかなか難しい。

 

実は京都に移動したパワハラ女性上司も苦戦していた。

 

ただ京都も神戸も初年度は赤字を出したが、

だんだんと軌道にのっていく。

 

 

問題は大阪だ。

初期メンバーを追い出し、

課長が支店長になったが、

残念だけどこの人は仕事が出来ない。

 

大阪支店は全国1位の支店からじりじり後退していった。

 

するとテコ入れで富山支店の部長が大阪支店に移動してきた。

ここからさらにギトギトのグチャクチャだ。

 

 

この部長にすり寄ったのが昨日登場したEだ。

我々が大阪に来て採用した社員だ。

 

 

部長とEは支店長である課長を追い出した。

まあ課長も自業自得だけどね。

部長代理を追い出した。

それから大阪支店が出来てから他支店から転勤してきた役職のある社員を全員追い出した。

 

名前だけの支店長を一人の常務が兼任し、

大阪支店は実質、

NO1、富山から来た部長

NO2、E

の体勢が確立した。

この部長以外全員、大阪支店が出来て雇った社員だ。

ただ前任の課長より仕事ができたため成績は上がっていった。

Eはすぐに大阪支店の支店長となった。

 

 

私たちの神戸支店は低空飛行だ。

それでも少しづつ軌道に乗り始め、

神戸で雇った社員も定着し、

30人弱の規模になった。

兵庫県の瀬戸内海側は全て網羅した。

 

ちなみに支店は西宮にあった。

理由は甲子園まで歩いていける距離(笑)

 

 

私は神戸支店が出来てその6か月後に結婚した。

半年の予定で大阪に来たのに、

大阪の女性と結婚し養子に入った。

人生分からない。。

 

 

 

神戸支店の体勢としては、

副社長格の常務がお目付役としていた。

F常務とする。

 

単身赴任で神戸支店と京都支店を担当していた。

社内で一番仕事が出来る方だった。

 

その下に愛知から部長が支店長として来た。

そして課長になった私。

 

F常務は私を買ってくれた。

 

 

平成18年36歳の時、

私は神戸支店の支店長に就任する。

会社始まって以来、

一番若い支店長の誕生だそうだ。

F常務の押上があったのは間違いない。

 

 

私の仕事は営業から管理へ。

全国の営業所の指導係へと変わった。

 

仕事の中で一番難しいこと。。

 それは人を使うこと。。

 

 

人に売らせることの難しさ。

自分で売る方が楽だ。

 

今考えると私は良い支店長ではなかった。

甘いんだよね~。

やはり部下に数字を上げさせるためには相当な厳しさも必要だ。

 

 

京都ではまたパワハラ女性上司が追い出されることになる。

岡山支店の設立だ(笑)

黒幕は大阪支店の富山から来た部長とEだ。

不満の溜まっていた京都の社員を扇動して常務、社長を説き伏せた。

京都支店は大阪支店に吸収された。

 

そしてね。。。

何故かここでも黒幕の名前に私が上がったんです。。。

知らんっちゅうの(笑)

 

 

私はこの頃全国に毎週出張に行っていた。

あ~、この頃マラソンと出会っていたら・・・

全国で旅ランが出来たし、

週末の出張に合わせて全国のマラソン大会にも出れただろうし、

ブログもしてたら沢山の方と交流できただろうな~

ストレス解消にもなっただろうに・・・

 

 

私の給料は年俸だった。

このころの年俸が700万。

もちろん支店の営業成績によっては減俸も報奨金もある。

 

 

平成19年、

支店の売上も厳しかったが会社全体の数字が低迷していた。

 

 

 

平成21年1月39歳、

F常務から呼び出された。

 

F常務、

「3月末で仕事を辞めることになった。まだ数人しか知らない。何度も社長と話して、やっと認めてくれた」

「新しく会社を立ち上げる。Choeiさえよければ一緒にやらないか?」

 

 

ありがたい話だったけど、その会社は東京が起点となる。

養子に入った身で子供は4歳と2歳。

社長へも恩義を感じている。

丁重にお断りした。

 

ただその後も度々飲みに誘ってくれて色々話をしてくれた。

東京支店の職員が5~6人常務について会社を辞めるらしい。

 

あかんことだ。

会社を辞めて独立するのにその会社の社員を引き抜くことはあるまじきことだ。

ただ私は社長も好きだったがF常務も好きだったので自分の胸にしまっておいた。

 

 

事件が起きた。

F常務が職員を引き抜いて辞めることが会社に発覚したのだ。

それにより約束されていた数千万円の退職金が支払われないということになった。

 

 

会社側にリークしたのは誰だ?

 

犯人は・・・?

 

 

 

私・・・だそうだ・・・(笑)

 

 

1月の初旬にF常務から私はやめる話を聞いた。

 

毎月月末前に支店長会議というものがある。

本社に幹部が集まりその月の数字の確認、

翌月の目標、新商品発表など丸1日行われる。

そのあとの飲み会も込みの会議だ。

 

 

1月末の会議、F常務は辞めることが決まっていたので出席しなかった。

 

そこで私の支店の発表の時に違う常務がこんな質問をした。

「Choei、東京支店の社員が何人か辞表を出してきたが神戸はどうなんだ?」

とこんな内容だったと思う。

 

当然、F常務のことが頭に浮かんだ。

しかしこの時点で会社側からF常務が辞めるという発表はない。

答えの正解は分からなかったけど、

「どういうことですか? 神戸は誰からもそんな話は聞いてませんよ」

そして東京支店の数字が下がったことをどう思うか聞かれ、

批判するようなコメントをしたのだけは覚えている。

 

この会議に出席していた東京支店の数人がF常務に私のことを悪く伝えたようだ。

 

 

さらに私は社長を中心とする会社側からも嫌疑の目を向けられる。

それは、

会社の会議の内容をF常務に伝えているやつがいるというのだ。

 

 

もちろん私ではない。

だってF常務は会社側にリークしたのが私だと思って以来、

どれだけ電話をしても出てくれなくなった。

私に対しては音信不通だ。。。

 

 

つまりどういうことか?

 

F常務が優秀な職員を引き抜いてやめると会社にリークしたのは私、

会社の重要な会議の内容を出席していないF常務に流してるのは私。

 

って・・・(笑)

F常務にとっても悪人、

会社にとっても悪人。

 

実際は両方知らん(笑)

 知らんっちゅうねん(笑)

 

 

この犯人はのちに分かった。

F常務のことを会社にリークしたのは一番近い存在だったあのパワハラ女性上司。

彼女は愛知⇒大阪⇒京都⇒岡山と追いやられた。

それでも担当常務となり彼女を支えていたのはF常務だ。

当然常務はこの女性支店長を誘っている。

そして会社に残ることと常務についていくことと天秤にかけて残ることを選択したのだろう。

残ると決めた瞬間、お世話になった常務を会社に売ったということだ。

きゃ~。。。。こわい。。。。

常務は一番近い存在に裏切られたことになる。

 

でもあれから10年たった今でもF常務は私が犯人だと思っていることだろう。

その後も3年は年賀状、2年はお中元、お歳暮を贈ったが一度も返信がなかった。

 

 

では会社の会議の内容をF常務に流していたのは誰だと思います?

 

 

実はやはり女性上司。。。(笑)

 

 

女性上司はF常務と会社側両方に私の名前を出したということだ。。

ほんまかいな? って感じでしょ。

きゃ~、こわい。。。

 

 

その結果どうなったか?

 

神戸支店は平成21年3月の時点で少し赤字を出した。

(会社全体が低迷し神戸支店はまだましなほうだったが・・・)

 

私は支店長から降格・・・

急降下・・・一気にチームリーダーまで降格・・・

 

神戸支店は大阪支店に吸収され、

大阪支店から新しい支店長(G)が送り込まれてきた。

(この支店長になった男は完全にEの息がかかっており私たちが大阪に来て雇った社員だ)

 

私の給料は700万から300万になった。。。

EとGが女性上司と結託して私のネガティブキャンペーンを行った成果だ。。。(笑)じゃなくて(泣)

 

 

とは言っても、

全ては私の責任。。。

組織というものが分かってなかった。

女上司やEや部長やそういう人たちは何かあったらすぐ本社に飛んで行って、

社長や役員に自己弁護、自分の正当性を訴え、疑いをはらし、

とにもかくにもコミュニケーションを欠かしていない。

それが嘘で汚いことであっても、

そうやって正義にしていく。

私はそれを一切しなかった。

事あるごとに、あれもこれも私のせいにされたが、

私の回りの人はそれを分かっていてくれたのをいいことに本社に飛んで行ったり、

上司に連絡をとったり、

そういうことを一切しなかった。

 

 

女性上司を愛知から大阪へ移動に追い込んだのは私だ。

でも大阪から追い出したのは私ではない。

そのときそのことをしっかりと女性上司と向き合って、

疑いを晴らすことをしなかった。

それをいいことに次から次へと何かあると私の名前が使われた。

全ては私自身の責任。

 

 

 

平成21年4月、

私は神戸支店の中でチームリーダーとしては末席で仕事をすることになる。

当然、大阪支店の支店長であるE、神戸支店の支店長になったGは、

私が仕事を辞めるだろうと思ってる。

 

 

つづく。。。

あと1回で終わらせます。

なんかドラマみたいやけどほんまの話(笑)

まあどこの会社でもちょっとはあるんやろうけどね。

 

ブログランキング。今何位?

↓応援ポチりお願いします.

[http://
にほんブログ村

 

 

水都大阪については明日。。私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。③

昨日は整骨院に行ってきました。

後は明日、

明日は走ります。

 

そして水都大阪どうするか決断します。。 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

 私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。①

 

私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。②

 

 

平成10年4月、

私は半年の約束で大阪転勤となった。

 

 

大阪での生活は食べ物も美味しいし、

私の性分に合った。

 

仕事は最悪だ。

パワハラ女性上司の下で早朝から夜中まで毎日毎日どろどろになって働く。

ボーっとする時間はない。

何もしない時間は作らせてくれない。

外回りに行くと必ず成果を求められる。

大阪支店新規進出で社員は次々と入ってくる。

次々とやめていく。

朝礼で正気の沙汰ではない怒りをぶちまけられ、

次々と職員が辞めていく。

ハサミをなげつけられたこともあった。。。ほんまに。。。

私とD君(愛知から一緒に来た4歳下のほぼ同期の同僚)は歯を食いしばって頑張った。

大阪支店は新規進出で2つの営業所(大阪市内と東大阪市)を開設したが、

進出と同時に売り上げが上がった。

私たちは東大阪市だ。

すぐに全国トップクラスの営業所になった。

 

 

7月、突然チャンスがやってきた。

好調な大阪支店、

一気に拡大していこうということで私が営業所の一つを任されることになった。

 

泉大津市に出来た営業所だ。

何よりうれしかったのはもうこれで因縁の女性上司の下で働かなくて良いということだ。

Dくんも連れて行きたいとお願いしたがそれはかなわなかった。

大阪で雇った職員の中でもうぎりぎり辞めそうな社員を4人あてがわれた。

 

開設して2カ月後、

50以上あった営業所の中でトップの成績をとった。

私がトップをとったのはこの月だけなのでまぐれであったが、

まわりの人の私を見る目は変わったと思う。

(いい風にも悪い風にも。。。)

 

 

拡大路線で、

軌道に乗った泉大津営業所は他の支店から新たに転勤してきたチームリーダーに託され、

私は北摂地方を担当することとなった。

主な営業エリアは枚方、高槻、吹田、摂津、茨木、守口だ。

沢山の部下を任され頑張った。

大阪支店は順調に数字を伸ばしていった。

 

 

そして約束の半年が経った。

半年の約束で転勤してきた私とD君だったが、

私には課長代理、D君にはチームリーダーの役職が与えられとどまるように説得された・・・というか命令だった。

大阪支店は50人規模の組織となった。

 

 

平成12年、クーデターが起きた。

 

京都支店の開設。

これだけを見ると順調に会社の規模が大きくなっていくということだが、

大阪支店創設メンバーの一人で支店内で権力を持っていた女性上司が追い出される形で京都支店の創設メンバーに名を連ねた。

名目は課長への出世、京都支店のNO2としての栄転だ。

 

しかし大阪支店は自分が作ったというプライドがある女性上司は荒れた。

気持ちは分かる。

 

でもこの荒れ方が分けわからん。。。

 

 

その怒りは私とD君に向けられた。

私とD君が合作して追い出されたと荒れていたのだ。。。

 

はっきり言う。

全く関係ない(笑)

もう会うのは月に2~3回。

一緒に働いているわけではないし、

私もD君も自分たちの営業所のことで精一杯。

同じ大阪支店の中でこの女性上司の営業成績は一番だったし、

その数字は私たちの支店の数字にもなる。

全国の中でも大阪は売り上げが良い。

頼りにすることはあっても追い出す意味がない。

 

この女性上司を追い出したのは、

同じく初期出店メンバーの課長と部長代理だ。

 

大阪支店の支店長は常務の一人のかたが兼任していたが、

課長が支店長になることになっていた。

そこで邪魔になったのが女性上司だったのだろう。

 

私とD君はだしにされた(笑)

 

 

これは事実で数年前D君が直接女性上司からそういう話を聞いた。

そしてこの思いをこの女性上司は私が会社を辞めるまで持っていた。

表面上ではにこやかに会話することもあったが彼女は私をずっと恨んでいたということだ。

勘違いなのにね。。。

 

 

課長は自分より仕事が出来る人、

自分の言うことに反発する人を遠ざける。

そんな上司だ。

 

私は順調に売り上げを作っていたが、

課長が支店長になり、

成績の悪い営業所を立ち直らせろという名目で売り上げがなかなか上がらない営業所へ配属された。

 

 

平成13年4月、

今度は私が追い出された。

課長と私たちが大阪に来て雇ったEという社員に大阪支店を追い出されることになる。

Eは野心が強く、自己顕示欲が強い。強引で聞く耳を持たない。

ただし営業能力は高い。

 

 

神戸支店創設。

 

ただ私自身、そこに夢と希望を持った。

 

上に常務と支店長が居たがその下という形での配属。

 

愛知県から一緒に出てきた、

Cさん(2つ年上の先輩で同僚)

D君、女性社員、事務員。

このメンバーでスタートした。

 

 

これで大阪支店で創設メンバーで残っているのは、

課長と部長代理、

後は他支店から創設後に転勤してきたチームリーダーが2人だけ。

課長が支店長となった。

 

 京都支店は、

パワハラ女性上司と最初に一緒に来たチームリーダー。

やはり社員は入ってはやめてを繰り返していた。

 

神戸支店は、

私とCさん、D君。

 

平成13年度がスタートした。

私は31歳。。

 

つづく。

ちなみにこの記述はかなり正確だ。

その当時のメモも残っているし、

何よりD君は今私の会社で働いてくれている(笑)

そのいきさつについてはまた。。

 

ブログランキング。今何位?

↓応援ポチりお願いします.

[http://
にほんブログ村

 

 

昨日の帰宅ラン! 私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。②

昨日は帰宅ランをしました。

 

10~15kmほど走りたい、

そして週末の100kmを走るか決めたいと昨日書きました。

 

 

結果は6kmで終了。

今後どうするか色々考えつつ電車に乗り込みました。

内容については水曜日に書きたいと思います。

 

 

帰宅後、

村田選手のミドル級の防衛戦を見ました。

 

強いですね。

相手うんぬん。

同階級の猛者達。

色々あるんでしょうが、

ミドル級でタイトルとって防衛した。

これだけでも素晴らしい!

これから先、

勝っても負けてもその実績は残りますし、

どんな試合になろうとも応援します。

ナイスファイト!

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

昨日1日だけで書き切ろうと思っていたサラリーマン時代。。

書いてるうちに色々思い出して長くなってしまったので途中で切った。

続きはまあ不定期でぼちぼちとおもっていたんだけど、

いつも閑散としてるコメント欄にいくつか反響が。。。(笑)

私が THさんキミ兄さんのブログを読んで興味を持ったように、

色々な悩みを抱えながら人間って働いてますもんね。。。

 

昨日のブログ、

水都大阪ウルトラ100kmまであと1週間! 私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。①

 

 

平成9年6月27歳の時、

私は愛知県である食品会社に就職した。

 

半年後、パワハラ女性上司の下に配属になり、

あまりの理不尽さで精神的なバランスを崩していた同僚の先輩の配置転換を女性上司のさらに上の課長に訴えた。

 

同僚の先輩は配置転換になった。

結果的に謀反を起こした私はその行動の一部始終を課長に明らかにされたうえ、

更に移動なしとなった(笑)

 

女性の上司の

「Choeiはこんなことがあって、私と働けるの?」

 という問いに、

「はい。働けます。仕事と割り切って働きます。一生懸命がんばります」

と答えた私。

 

立場的には女性上司はチームリーダー、

その下に私。

 

通常、チームリーダーの下に3~4人くらいの部下がついて営業をしていく。

数字はチームリーダーのもの。

その下の我々はチームリーダーの補佐をしていく。

昨日も書いたがその女性リーダーは全国トップ。

半期ごとの成績が常に上位3人に入っていた。

 

その日から女性上司と私の2人チーム。

応援なし。

まさに針のムシロ(笑)

(笑)じゃなくて(泣)。。

 

それでもそこから数か月間懸命に頑張った。

通常4~5人チームでする仕事を2人。。。

っていうか女性上司はクロージングをするだけだから、

その他準備から後始末まで私一人でするわけだ。。。

仕事を辞める気はなかった。

意地もあるしもう転職せずに頑張ろうと思っていた。

27歳の新人。

20そこそこの新人と同じではそれこそ恥ずかしい。

とにかく文句言わず、

雑談もせず。ってかする人が居なかった(笑)

頑張った。

彼女の営業成績を下げることなく働いた。

 

2カ月くらいはこの体制で頑張った。

 

支店担当の常務が配置転換を命じてくれた。

基本的に営業所が変わればその女性上司と顔を合わすのも月に1回の総会だけだ。

 

 

私は違うチームリーダーの下、

楽しく仕事が出来るようになった。

 

 

平成10年1月、

大阪支店の設立が決まった。

設立メンバーとして発表されたのが、

支店長は愛知県担当の常務が兼任、

あの仕事が出来ない課長(私の謀反を暴露した)、

チームリーダーとして、

パワハラだけど全国トップの実力がある女性上司、

女性上司と仲の良い小太りの男。

この二人は私の1歳上。

 

あとはその下につくメンバーを4~5人募集するということだ。

あと4~5人を現地で採用するらしい。

 

 

ここからは噂話だけど、

大阪支店創設、今回のメンバーを含めて担当常務と社長が決めたということだ。

女性上司の下でここ数年10人以上の社員が会社をやめている。

もう愛知支店で彼女の下につくことのできる社員は居ない。

私の謀反がきっかけとなって、今回のことが決まったらしい。

もちろん会社としては営業成績を上げてくれる女性上司を首にするはずもないし、

課長代理兼チームリーダーでという栄転だ。

ちなみにチームリーダーとして大阪支店に行く二人は独身。

 

私?

応募するわけないでしょ(笑)

女性リーダーが移動することになった張本人なんやから(笑)

 

 

下につくメンバーを1月から募集しはじめ、

1カ月。。。応募ゼロ。。。。(笑)

そりゃそうだ。。。

 

2月になり愛知支店からの応募から全国からの応募に切り替えた。

静岡支店から一人、金沢支店から一人。

1カ月で2人の応募。

 

そして3月。

 

私が働いていた営業所に課長が来るらしい。

嫌な予感がした。

その営業所にはチームリーダーの下に3人の部下が居た。

3人とも女性上司の下で働いたことがあり、

散々な目に合っている。

 

Cさん(男性私の2歳上)

D君(私とほぼ同期の中途採用社員で私の4つ下)

Choei

3人とも独身。

 

きっと大阪支店に関しての話だと思うけど、

何言われても俺は断る!

と3人で話していた。

もちろん他の2人も一緒だ。

 

 

一人づつ呼び出される。

最初が私だ。

しかも車の中。。

 

課長、

「大阪に行かないか?」

私、

「愛知で頑張ります」

5分くらい説得されたが、

「まさか私に声がかかるとは思いませんでした」

と言い終了。

 

CさんもD君も断ったとのことだ。

 

 

それから1週間後、

3人はまた呼び出された。

今度は居酒屋だ。

「風来坊」という愛知では手羽先が有名なお店(いらない情報)、

 

そこに居たのは、

課長と部長代理、

我々3人は固い決意をもってそこに座った。

 

はずだった。。。(笑)

 

宴が始まった。

ドンドン飲まされる。

 

課長、

「3人で大阪に来てほしい」

私、

「いえ、お断りした通りです。3人で愛知県で頑張ります」

課長、

「Cは大阪で頑張るって言ってるぞ! あっちに行ったらすぐ社員募集するからな」

 

私とDくん、

「え~」目をCさんに向ける。。。

「Cさん、大阪行くんですか?」

Cさん、

「はい。行きます」

 

いやいや、Cさんはいい人なんです。裏切ったとかではなく断れなかったんでしょう。

そういう方です。

はっきり言って愛知支店でその女性上司に一番いじめられていたのはCさんなんです。

いい人なんです。

ちなみに現在は農業をされております。

今でも年に数回連絡をとりあってます。

 

 

それでも私とD君はかたくなに断り続けました。

課長と部長代理の誤算は二人ともお酒強かったんです(笑)

 

部長代理、

「半年だけでいい! 君たちにとってもチャンスだと思う」

 

熱く説得されます。

私たちはサラリーマン。

学生ではありません。

 

私とD君はちょっと失礼しますといってトイレに二人で向います。

そこで、どうする?って話をしました。

半年なら・・・

 

席に戻り、

「本当に半年ですか?」

課長、

「半年だ」

私、

「Aさん(女性上司)と違う営業所ですよね」

課長、

「・・・」

 

もう支店設立1週間前なのだ。

 

私、

「もう住むとこも決まってるとか・・・?」

課長、

「決まってる」

聞くと、私とDくんのマンションはすでに決まっているらしい。

それも女性上司の営業所の近く(笑)

 

もう一度言う。

私たちはサラリーマンだ。

学生ではないのだ。

もう会社の決定なのだ。

断るか辞めるかなんだろう。

 

私、

「Dくん、半年ということだから行こうか」

Dくん、

「本当に半年なんですね」

と再度課長と部長代理の確認をとり、

大阪支店行きが決まった。。。

 

もう一週間後には転勤なのだ。

 

今のマンションを引き払わなければならない。

解約に関しての残りの家賃はもちろん会社が出してくれた。

 

 

こうして私は平成10年4月、

半年だけという約束のもと大阪支店に転勤となった。

 

 

またまたつづいてしまった。。

この会社はもうありません。

だから書けるんです。。。

 

ブログランキング。今何位?

↓応援ポチりお願いします.

[http://
にほんブログ村

 

 

 

水都大阪ウルトラ100kmまであと1週間! 私のサラリーマン時代。。出世、裏切り、降格。。。①

水都大阪ウルトラマラニックまであと1週間。

 

今夜帰宅ランをします。

10~15kmのジョグです。

 

痛みなく走れた⇒スタートラインに立ちます

痛みが出た。走れなかった⇒きっぱりとあきらめます

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 THさんの人気シリーズ、

キミ兄さんの今日のブログ、

(「限界費用ゼロ社会」のお休みは悲しいけど。。)

を勝手に受けて、書いてみたくなった(笑)

現在その会社はない。

あったら書けなかったろうな~。。

 

 

私は何度か転職をしている。

バブルの頃は東京で先物取引の会社に居た。

始発から終電まで働きづくめ。。

心身ともに疲れ果て仕事をやめた。

 

しばらくフリーターをしていた。

バブルの頃で仕事はいくらでもあった。

結婚式の司会、掃除のお兄さん、北海道物産展で北海道から来た人のように呼び込みしたり、コンビニ、測量のアシスタント、ビラ配り、アントニオ猪木経営のレストランで皿洗い(中学生の頃)、しいたけの菌打ち(高校生の頃)、新聞配達色々したな~

月収は30万を超えていた。

 

そのバイトの中で長く続き、

正社員として働くようになったのがボウリング場だ。

全国展開しており須田開代子さんなども所属していた。

仕事は楽しかったが将来性に不安を感じ転職。

 

 

平成9年6月27歳の時、

私はある食品会社に転職した。

中部、関東に展開し従業員は300人くらいの会社だった。

もう転職は最後にしようと思っていた。

 

平成10年4月大阪支店設立のメンバーに選ばれ転勤。

ここから私の大阪生活が始まる。

翌年には課長代理になり順調に出世していく。

 

平成18年36歳、

私は神戸支店の支店長となる。

会社創設以来一番若い支店長の誕生だ。

中途採用の社員としては異例の出世と言われた。

もちろん営業成績を出してきた結果だ。

 

30人くらいの支店ではあったけど、

新しい支店であったし勢いはあった。

 

 

社長に可愛がられた。

私も社長のために頑張ろうと思って働いた。

私が大阪に来て3年目くらいの時だったか、

胃潰瘍を患い、噴水のように血を吐き、

救急車で病院に運ばれた。

翌日会社内で一番早くお見舞いに来てくれたのが社長だ。

関東から神戸、

来てくれた時間から考えると始発だ。

率直に感動した。

 

常務は4人居た。

副社長格の常務に一番かわいがられた。

あとは若い常務にもお世話になった。

 

 

入社以来、

どうしても好きになれない上司が居た。

女性だった。

今の時代ならパワハラで訴えられるだろう。

 

新入社員もその女性上司の下につくとすぐに辞めていく。

みんな辞めていく。

入社半年の頃、

私はその上司の下に配属された。

何度も殺意を覚えた。

全てが理不尽。

機嫌を損ねたら終わり。

ただ営業成績は全国1位だった。

営業は成績が全て。

この女性上司に対して意見を言えるものなど居なかった。

 

 

同僚の先輩がもうダメだと言った。

仕事を辞めるといった。

私は覚悟を決めた。

その日の夜中、

その女性上司の上にいる課長に連絡をとり、

先輩の配属転換を訴えた。

 

今考えるとやってはいけないことだったかもしれない。

でも私は同僚の先輩が好きだった。

仕事の出来る人だった。

今はお互い違う仕事をしているけどいまだに年賀状のやりとりは続いている。

 

 

翌日、

私たちの営業所に課長が来た。

女性上司(A)と同僚の先輩(B)と私が呼び出された。

長テーブルを囲み課長が切り出した。

 

課長、

「昨日、Choeiが私のところに来てBの配置転換をしてほしいと言われた」

 

(・・・って、おいおい、そのまんまやん・・・あ~あ~)

下を向く私に女性上司と同僚の先輩の視線が突き刺さる。。。

なんでこんなんなっちゃったんやろ。。。あ~あ~。。。

もちろんその課長は仕事が出来ないことで有名だ(笑)

 

課長、

「B君、もうこの営業所では働けないのか?」

 

同僚の先輩は覚悟を決めたようだ。

「はい。無理です。もう限界です」

 

女性上司、

「何かあるなら私に直接言えばいいじゃない!」

 

私、

「Bさんは何もしてません。私が独断でしたことです」

 

女性上司、

「B君が何も言ってないのになんであんたがそんなことするの」

 

私、

「・・・」

 

同僚の先輩、

「いえ、僕はもう限界でした。やめようと思ってました。Choeiくんに相談してました。移動できないならやめます」

 

課長、

「B君には移動してもらう。Aさん、このままだと君の下で働く人は居なくなるよ」

そこから課長は女性上司に数分に渡って色々な話をしていたが、

私とB君はだしにされた感じで、

課長がもってる女性上司に対する不満をぶつけている感じだった。

 

 

そして、

同僚の先輩の配置転換が決まった。

私は? 私はこのままなんだそうだ(笑)

 

課長、

「話は終わったし、みんなで飲みに行くか? そこで色々話そう」

 

私と同僚の先輩、

「いやです」

 

「・・・」

 

女性の上司、

「Choeiはこんなことがあって、私と働けるの?」

 

私、

「はい。働けます。仕事と割り切って働きます。一生懸命がんばります」

 

今書いていて色々なことを思い出す。

この女性上司とは私が会社を辞めるまで色々因縁があるのですが、

長くなってしまったので続く。

 

 

今日の分を書き終わって、 

やはり投稿するのやめようかな~とさんざん迷ったけど。。。

え~い! ままよ~!! いけ~!!!

 

ブログランキング。今何位?

↓応援ポチりお願いします.

[http://
にほんブログ村