昨日の話。
心が弱い。
それとも。
今の限界なのか。
限界ではないと思うけど、
心が負けた瞬間に限界を迎える。
5.20/kmで30km。
やり遂げるつもりで3時起き。
狭山池4時スタート。
5.13 5.07 5.12 5.07 5.11
5.14 5.14 5.17 5.15 5.17
5.18 5.17 5.19 5.14 5.16
5.20 5.17
17.37km 1.31.08 (5.15/km)
神戸マラソンでサブ3.5とか言っちゃってるけど、
今の状態では到底無理。
ここからどれだけあげれるか。。
雑記ひらがな50音 う② 運命
私は今、ブログを書いている。
私は今、大阪で仕事をしている。
私は今、大学2年の娘と高校3年の息子がいる。
私は今、走ることを趣味にしている。
私は今、こうして生きている。
きりがないが、
今ある私の状況は私が人生で選択を繰り返してきた結果としてのもの。
どこかで違う選択をしたのなら全く違う人生になったのかもしれない。
悔やむことは沢山ある。
だからといってその時に違う選択をしてその後起こった状況が幸せなものとは限らない。
結果、
今ある状況を幸せなことだと考え、
受入れ、感謝し、心を明るく保つ。
それが幸福ということなのだろうと思う。
だから私は幸福であると自分に言って聞かせる。
自分では選択出来なかったことも沢山ある。
生れてきた家。
これは選べない。
親ガチャなんて言葉もある。
お金持ちの家に生まれてきたから幸せだとは限らない。
貧しい家に生まれてきたから不幸だとは限らない。
でもお金はあった方が幸せになる確率は格段に上がる。
これは選べない。
自分に与えられた容姿、能力など。
私の人生であそこが運命の分かれ道だったのだなという出来事がある。
おそらく私が10歳、妹7歳、弟4歳、弟1歳。
父親が酔った時に数度話をしていた。
全貌は分からない。
ただ最近この話を私が持ち出しても否定はしない。
だからここが私たち家族の運命の分かれ道だったのだろう。
両親にとっては運命ではない。
選択肢がいくつもあったはずなのだから。
父親がお金を使い込んだ。
会社のお金とかではなく、何かのお金。
それだけならば人生やり直しが出来る。
でも他にも沢山の借金をしたのだろう。
そして父親が選択したのは最後の博打。
手をつけてはいけないお金を全部賭けた。
賭けたのは競輪。
私には思い当たるふしがある。
私は9歳か10歳だったのだ。
記憶にあっても不思議ではない。
父親はギャンブル三昧で、
競輪だけでなく競艇、競馬場、オートに良く家族で行ったのを覚えている。
私は中学、高校時代になると、
蒲郡ボートで出場する選手をほぼ覚えていた。
弾丸まくりの黒明、モンスター野中、鵜飼菜穂子、新美恵一などなど。
とにかく最後の賭け。
負けたら。。
負けたら一家心中を考えていた。
もうみんなで死のう。
父親は、
本気で考えていたらしい。
賭けたのは本命。
1点勝負。
今はどういう仕組みか分からないけど、
当時競輪は1位、2位の連単のみだったと思う。
競艇もそうだったと思う。
当たれば生き延びれる。
果たして、
1着、2着。
父親の買った本命が来た。
大騒ぎだ!
ところが。。
なかなか確定が出ない。
審議がはじまった。
なんとなく私にも覚えがある。
両親と頭上にあるモニターを見ていた。
父親が、イライラしていた。
結果がなかなか出ない。
1着だか2着の選手に反則があったかどうかの審議だった。
ちなみに私にはそんな記憶があるけど、
まさかそんな勝負をしているとは夢にも思っていない。
父親がその時の様子を語る。
ものすごく時間が長く感じたと。
結果が出た。
1着、2着。
そのまま確定。
人生を賭けてベットしたお金は、
増えて返ってきた。
そしてその後、
我が家はやはり貧乏だったり、
一時浮上したり、
そしてまたどん底に落ちてを繰り返した。
あの時、
負けていたら本当に一家心中をしたのだろうか?
おそらく母親は私たちを守ってくれたはずだ。
父親だってたぶん。。死ぬ度胸はなかったはずだ。
どうなっていたのか?
負けなかったからこそその結果は分からない。
分からなくて良かった。
そこで死を選ばずにいたからこそ今がある。
親ガチャが出来たのなら、
はずれを引いてももう少しいい暮らしが出来たと思う。
だからといって今、不幸ではない。
↓応援ポチりお願いします.