走って、パパして、仕事して。ときどき夫。。

45歳から走り始めました。フルもウルトラもトレイルも思いっきり楽しみたい!

あきらめた! / 雑記ひらがな50音 い① 犬

水曜日、

3時に起きて狭山池を4時にスタートした。

30kmを走り切るために涼しい時間を選んでスタート。

絶対走り切ってやる。

 

設定は530/km。

余裕のよっちゃんで行こう。

 

1~5km

5.33 5.23 5.21 5.19 5.26

 

最初の2kmはアップジョグのつもり。

疲れがあるなと思った。

そして右足首付近に違和感がある。

 

 

6~10km

5.20 5.22 5.22 5.22 5.22

 

順調にラップを刻む。

右のおしりのあたりに少し張りを感じる。

それでも30kmを走りきるという気持ちに変わりはない。

 

 

11~15km

5.27 5.38

 

11kmを過ぎたあたりでお腹がぐるぐるしだした。

やばい。

そういえば朝も下痢だった。

2度トイレへ行った。

12km手前まで我慢したけどトイレへ飛び込んだ。

5分以上籠る。

汗がだらだら落ちる。

トイレを出てもう一度走り出そうとするけど走れない。

気持ちが完全に切れてしまった。

あ~。。あ~。。

また走れなかった。

 

昨日の時点で月間走行距離214km。

今月はあと4日。

250kmは走ろうと思えば達成できるのだろうけど、

今日も休足した。

明日は息子の体育大会へ行く。

朝早いので走る時間はない。

あとは土日。

もちろん仕事。

あきらめた!

右足首、おしりに違和感あり。

体全体に疲労あり。

9月に向けて無理はしない。

土曜日はエアパークラン込みで12km。

日曜日は10km。

走ろうと思っている。

 

・・・

 

雑記ひらがな50音 い① 犬

 

 

最初に「い」がつく言葉で思いついたもの。

 

・石川君

・犬

・生きる

胃潰瘍

イクラ

閾値

 

この中から何を書こうかな。

 

 

私は動物好きだと思う。

虫も好きだ。

 

犬派? 猫派?

と聞かれたら私は犬派だ。

 

現在愛知県みよし市の実家では猫を飼っている。

でも私は断然犬派だ。

 

私が幼いころ、

ちわわを飼っていたことがあるらしい。

全く記憶にない。

 

小学3年生の途中、

我が家は一軒家に引っ越した。

 

父親の浮き沈みのある人生の中で、

私が恩恵を受けれた浮きの期間。

小学3年生の途中から中学1年生頃まで。

父親がある不動産会社の支店長になった。

それで家を買った。

愛知県岡崎市中園町というところ。

字がつくド田舎の小さな家だけど子供ながらに嬉しかった。

 

それまでに住んでいた家は、

愛知県岡崎市三島町

東岡崎駅の近くだった。

6帖と2帖のキッチンの部屋になんと6人で暮らしてた。

両親と母親のお兄さん。

子供は小学3年生の私と幼稚園の年長のはずだけど行かせてもらえなかった妹、

そして3歳の弟。

引越してすぐにもう一人弟が生れた。

どうやってあの小さい家にこれだけの人数で暮らせていたのか不思議だ(笑)

お風呂はない。

トイレは玄関を出て外についていた。

全部で4軒、トイレは共同で2つあった覚えがある。

 

我が家初めての持ち家は、

田舎の小さな家であってもすごく広く感じた。

1階に3帖ほどのキッチンと4.5帖と6帖ほどの洋室2つ。

2階に4帖と5帖くらいの部屋。

そしてちょっと広めのベランダ。

小さいが庭があった。

 

そこに突然子犬が4匹やってきた。

小さくて可愛かった。

玄関で牛乳を飲む子犬たちの姿を覚えている。

数日後、

2匹の犬を残して車で新しい飼い主の家に連れて行った記憶がある。

残ったのは2匹。

1匹が白で黒の模様のある子。

もう1匹が茶色っぽい子。

ちなみに雑種だ。

今はミックスといわないとあかんらしい。

父親が名前をつけた。

タロウとジロウ。

そう南極で生き残った犬の名前だ(笑)

庭に犬小屋を作り飼っていた。

 

2匹の犬を飼ってまもなく、

黒猫が我が家にやってきた。

野良猫が居ついた感じだ。

家の中で暮らしていた。

名前は私がつけた。

ミイコ。

 

私が中学二年生から三年生の頃、

我が家は破綻した。

家から食べ物が消えた。

お米がなかった。

小麦粉をこねてフライパンで焼いて砂糖をふりかけたもの。

あとはすいとんを度々食べた覚えがある。

 

両親は子供には苦しい様子を見せない努力をした。

だから私もその頃は不幸を感じず過ごしていた。

でも今から思い返すと、

食べ物がなくて山や川に食べれるものを採りに行っていた。

子供の私にとってはレジャーの一環だったけど。

 

一家心中を父親が考えた時期でもあった。

そのことはまた近いうちに雑記で書こうと思う。

 

繰り返すが、

両親は私たち子供に苦しさやひもじさを感じさせないように努力していた。

そして、

遊び人だった父親と別れず、

必死に働いて家庭を支えて子供たちを育ててくれた母親。

 

私は4人兄弟。

みなそれぞれ性格も違うし、

生れた時代によって家庭状況が違ったのでもっている記憶や親に与えられたものも違う。

私と妹は非常に苦労した。

上の弟は中学を出てすぐに寿司屋で板前になるために住み込みで働いた。

一番下の弟は比較的いい時期に生まれているのでリトルリーグに入れたりしたが、

私や妹とはまた違う意味で父親から離れたがっていた。

実際に全寮生で少し給与をもらいながら通える高校へ行った。

 

母親の我慢強さが家庭を崩壊させなかったし、

4人兄弟全員、色々あったけど大きく道をはずさず人生を送れている。

今現在は上の弟が両親と暮らしてくれており、

妹家族もその近くに住んでくれている。

兄弟のグループラインもあり、

なにかあれば相談しあえる関係が今でもある。

 

また話がそれた。

そう我が家が破綻してこの持ち家から夜逃げするのだけど、

両親はその時ごまかしていたけどきっとタロウとジロウ、

そして黒猫のミーコは不幸なことになっていたのだと思う。

 

時は流れた。

 

私は結婚して今の妻の家に養子に入った。

犬を飼っていた。

紀州犬の血の入ったミックスだ。

マルという名前だ。

気性の荒い犬でちょっとした事件を起こしてしまうのだけど、

(すぐに解決した)

私が家に入って5年ほど病気で死んでしまった。

毎朝散歩に連れて行てったのでぽっかりと心に穴があいた。

 

私は動物が好きだ。

その中でも特に犬が好きだ。

今でも飼いたいなと思う。

でも別れの寂しさをもう味わいたくないなと思う気持ちが勝つ。

 

妹の家では最近まで犬を飼っていた。

実家では猫を飼っている。

妻の妹の家でも犬を飼っている。

動物と一緒に暮らすのは心の癒しになる。

 

子供達が家を出て行った後、

きっと私は犬を飼おうと言うだろう。

妻も義母もきっと反対しないと思う。

豆柴なんていいな。

 

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